地域, 政治, 経済そして音楽・・・浅輪がんぽおのブログ

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2009年 06月 21日

組織人とアナーキー

昔、60年ぐらいに、アメリカでベストセラーになった本で、
「組織人」Organization Man
というのがあるそうだ。
自分は読んでいないので、よく知らないが、

要するに、アメリカは個人主義の国だ!と主張してきたが、実際は、ほとんどが組織で囲まれた社会になっていて、「個人主義」で動いているつもりでも実際は、組織にくるまれた利害関係でしか行動できなくなってきている、

ということだと聞いている。

アメリカで組織が発展してきたのは、19世紀の終わりぐらいからの鉄鋼業とか、フォードなどの自動車産業が発展してきたころからだと思う。

その組織を擁護する思想として、例えば、全体主義(ナチス)のおおうオーストリアから逃げてきた経済学者シュンペーター(彼は20代で大蔵大臣みたいなことをやり、全体主義に流れていく官僚組織にこりごりしていた)や、後に経営コンサルタントとして高名になるドラッカーがいた。

かれらは、全体主義に流れていく祖国をみながらも「多くの人たちをまとめていく」必要がある時代の流れを感じていた。しかし同時に国家全体主義になることの危うさーー差別、思想の統制・・・を感じていた。

だから、「多くの人たちをまとめる」と同時に「個人主義」を成り立たせる方法を深く考えざるを得なかった。

そこで、「組織」「経営」それから「イノベーション」などの考えを発展させたのだ。

シュンペーターによれば、社会を変えていくのは新しいアイデアを実現させていく「起業家」だ(これは、ビジネスだけでなく、文化や環境や医療や科学・・・いろんなところに当てはまるだろう)。しかし、彼らのアイデアを実現させるには、資金がいる。 これを銀行などが信用創造を行い、支える。

ドラッカーは、もう少しミクロなところから、このような起業家精神を維持していくための「企業」や「NPO」の組織はどうあるべきかを説いた。

組織は利益追求よりも(それは評価を表す客観的尺度であって)「目的」ミッションこそが中心に添えられなければならない、と主張した。

例えば、企業のトップに寄り添うような組織ではなく(それは腐敗する)ミッションに寄り添い、その達成に向かっていく、そのためにはトップは尊敬されるようでなければならないし、社員を第一に幸せにさせなければならない・・・各論をいえばきりがないが、「マネジメント」という名著を読んでいただきたい。これにはエッセンシャル版もあり、実に良くまとめられている。

しかし、二人とも同様に、これらが大企業化につながり「組織人」を作り出すことを感じていた。シュンペーターの『資本主義・社会主義・民主主義』やドラッカーの『ポスト資本主義社会』など。

たとえば、公害病として悪名高い水俣病をうんだチッソという会社は、内部の研究所で、水銀中毒の可能性を既に察知していた。しかし、「組織人」であった彼らは良心の痛みを感じながらも、それを外部に出そうとせず、隠し続けた。

なぜ隠し続けるか? 自らの属している「組織』の利益に貢献しない限り、生活していけないのではないか、という恐れがあるからだ。

悪いニュース、その他含めて、公開していけば、このような「組織」があっても「組織人」が生む弊害はなくなっていく。そのためにはどうしたらいいのか。

実際のところ、悲しいことだが、水俣病をはじめとする、とてつもない被害が起きて、社会が動き出して、国家や自治体が法制化などせざるを得なくなる・・・そういう形でしか、「組織」は良くなっていっていかない。戦争の被害があって、やっと反戦運動が動き出すようなものだ。国際連合も、第二次大戦の甚大な被害によって、やっと出来たのだ。

ほかに、「組織人」を離れる方法はないのか?

たとえば、「組織」から自立して人間は生きていけばいいのではないか?という問いもあり得よう。

しかし、実際として、すべて自分でリスクを負うのは怖い、という人が多いので、サラリーマン、官僚のままでいた方が良い、と言う人が多いだろう(最近はサラリーマンのままでいた方がリスクだよ、という説もあるが。サラリーマンがミスをしたとしても会社は結局責任を取らず時間が過ぎるのをまち、ミスをした人が左遷されたり、首になるのがやまだ。)。

しかし、組織を離れて自由人となっても、社会にはあちこちに組織があるし、仕事をしていく限り、それらの組織に気を使ったりしなければならない。また、自分が自由人になって起業家になっても、自分の仲間たちを・会社を「組織化」するだろう。

完全な自由人(アナーキー)は不可能だ。

それは貨幣を無くさないと、成り立たない。貨幣に頼る必要がなければ、あらゆる「組織」に気を使う必要はなくなり、たしかに人間は本当に自由になれる。

しかし、貨幣を無くすことは出来ない。

貨幣は、いわゆる「交歓価値」を保証するもので、それを持っていることによって、色々必要なものや、欲望するものを「交換」によって手にすることが出来るからだ。

貨幣がなくなったら、どうやって生きていくか。

動物と同じである。

完全な自給自足か、「家族」みたいなところで「たすけあい/おくりもの」をするか、「奪う」しかない。

昔、ポラーニーという経済人類学者がまとめた3つの交換がある。

自給自足は、交換でないから置いといて(といっても、自然から奪い、還し(排泄物、死体などの形で)という「自然との交換」は残る)

1)たすけあい/おくりもの (互酬制)
2)奪い/再分配する (奪い続けているだけでは、奪う相手がいなくなってしまうので、適度に再分配する)
3)市場に置ける交換(お互いに値踏みして、合意して交換する。物々交換から貨幣による交換に変化していく)

これ以外に交換の方法はない。そして、これらの交換がなければ、人間界は成り立たないし、動物界も、自然界までも、最初の二つの交換がなければ、ある意味成り立たない。

これらの3つの交換方法が現代社会で全体化したものが生み出した組織が次の三つだ。(柄谷行人『世界共和国へ――資本=ネーション=国家を超えて』)

1)国民国家(Nation)
2)官僚制国家(税金を奪い、それを公共事業として分配する)
3)資本制

そして、これらを無くすのは不可能だ。そもそも3つの交換がなければ、人間社会が成り立たないし、現在の科学技術の程度が、上記3つのレベルの組織を要請するからだ。

(あまり深く考えていない)アナーキズムの不可能性は、これらを無くそうと考えることにある。

これらを変化させることしか出来ないし、それこそが問題なのだ。

それらを変化させるためには、もちろんアナーキスト的な運動による圧力ももとにあるかもしれないが、しかし根本的には、それぞれ3つのシステムにある根幹となっているものを尊重せざるを得ない。

それらを尊重して、それらを変えていく、あるいは、より合理的に、市民生活に生かせるものに変えていくのが変革の方向である。

1)コミュニティ
2)法
3)起業と信用創造

これら3つは尊重せざるを得ないし、これらを生かしながら、では、どういう形の社会の形を描くのか、つくっていくのか、という問い方をせざるを得ない。

この点で、地域政治経済学には私は惹かれるのだが、もちろん、これだけですべてが片付く訳ではないだろう。
プルードンは、アナーキストの中でも、これらを意識しながら行動していたし、書いていた。一つには、かれは、起業家でもあり、国会議員でもあったからだと思う。


(久しぶりに長い文ですみません。同じようなことを何回も書いている気がするのですが、時には、こういうイデオローグ的な総論も、述べる必要があると思いました。友人に酔った席であおられたこともあり(笑)・・・。現在の自分は、こういう総論より、個々の自分の現場に置いて何をするか、どういう問題があって、それぞれをどういう人に問いかけて、変えていくか、という各論に最大限の興味がある訳ですが・・・後は、愛とか、詩とか、音楽とか、酒とか(笑))
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by ganpoe | 2009-06-21 12:54 | Social or Economic


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