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2011年 10月 06日

トランスコミック論文(2) 贈り物の交換

序論 「自然と人間の交換——人間と人間の交換」 の続き

贈り物の交換 

 「贈り物」の交換は分かりやすく見える。まず、「信頼関係」「互助関係」があるもの同士での交換がある。例えば家族や友人たちの間での。同じムラやマチの人たちの間での。

 でも、もしかすると逆かもしれない。「信頼関係」を「互助関係」をつくり出すために、人々は贈り物を交換するのかもしれない。

 贈り物を与えるということは、それに対して同じように贈り物を与えなければならない、という負い目を人に与える。

 それはある地点から、あたたかい、まごころのこもった贈り物交換から、信頼/同質であるように強制するような交換になってしまうかもしれない。ある人がたくさんの贈り物をしたら、その人を村の長というようにみんなが敬わないといけなくなるかもしれない。

 逆に村の長に取っては、いつまでも贈り物を願ってくる他の民に困惑し、ついに自分の持ち物が無くなってしまうほど贈り物をねだられるかもしれない。

 それ以上に、贈り物が極端に行き「命」さえも贈ってしまうことが、例えば戦争で名誉の戦死をめざしたり、神への生け贄という形で差し出すようなことまでありえる。ついには相手がこれだけ自分のものを奪ったのだから、同じ量のものを奪う、という「負の贈り物」の平等な交換もある。だから、「贈り物」も暖かく良いものだけではない。

 贈り物を交換し合う共同体に、面倒さを感じ、自由でないと感じるひともでてくるだろう。

 贈り物の交換は素晴らしいものに見えるが、そこにある程度の「自由」を入れないと窮屈になってしまうだろう。贈り物を返さない、みんなと違う、だから村八分、という極端になってしまうだろう。

 しかし、一方で贈り物をいろんな形で与え合うことによって、お互いの貧富の差を極端でなく、なるべく平らにしようという意志が働く。

 贈り物交換は全ての交換の根幹にある。つまり、「公平な交換」とみなす、ということである。

 このあとに述べる第二の交換(強制と再分配)と第三の交換(貨幣を用いた交換)では、実際は交換するもの同士の立場は平等ではない。第二の交換では権力(暴力)がある方が強いし、第三の交換では貨幣を持つ方が強い。

 しかし、その場、その場の交換では「公平」であると少なくとも表向きは納得しなければ交換できない。たとえ強制されて渋々納得した交換であっても、さんざん値切られて赤字覚悟の交換でも、表向きは「公平な交換」としてすませる。

  でも、贈り物交換が根幹にあるといっても、やはり、第二、第三の交換は第一の交換と違うのだ。国家は強制で一方的に上下関係をつくる。そんな交換は共同体の贈り物交換では許されない。ある年、収穫が多かった人がいたら、それはすぐに分け合うように、それこそが公平な交換である、とプレッシャーがかかる。(ポトラッチと言う)

 贈り物の交換には、自然と人間の交換の項で述べたように、現在の交換の仕方を大きく変えるヒントが隠されている。それは、これから、少しずつ述べていきたい。

次章に続く
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by ganpoe | 2011-10-06 23:04 | Social or Economic


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