地域, 政治, 経済そして音楽・・・浅輪がんぽおのブログ

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カテゴリ:Art( 10 )


2009年 06月 14日

梅田洋品店の銀座での個展

以前のブログで紹介した、梅田洋品店、店長梅ちゃんの銀座での個展を見に行った。
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行ってみたら、突然、銀ぶらマダム達で小さな店がいっぱいになった。
ちょっと感動。
聞くところによると、銀ぶらマダムたちは普通、平日に観光客がいないときに、外車で乗り付けてギャラリーに来るそうだ。だから、値段の高いギャラリーは日曜日に逆に空いていない。
有閑マダムたちよ、会えなくて残念ですね。
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と思ったら、知り合いシダセイジュンがいた! 突然話しかけられて、びっくり。
色々話も出来てよかった。
彼もトランスコミックを描き始めたときよりも、ずっとセカイノカラクリの裏表を知りつつあり、それをよりよい方に解きほぐしていく方法をもっと念密に考え始めていた。要するに、簡単ではない(笑)と。

個人的には、そのあと、『生活圏としての地域・・・それを支える経済システムのからくり』
みたいなのを書いてくれる、とそれで最高だと思う。

あと、農業、というか、農村論と、文化論、・・・が欲しい。この辺を、どうやって政治・経済的に分析し、それを分かりやすい漫画に仕上げるか。

それから、ほかの人とも知り合いになった。今までアースデイ辺りでニアミス、実はあっていたはず・・・と言うトモコさんや
カワエリさんにも会った。それぞれアースデイに出店したり、オーガナイズしていた人たち。その人たちが、偶然同じときに来店した。 (あ、カワエリさんは店番をしてたので、ずっといたんですね!)

予想もせず、また、ネットワークが広がっていく。寺山修司が言ったように『書を捨てよ、街に出ろ』である。

7、8年ぐらい前に彼女たちとすれ違っていたはずの頃の代々木公園アースデイを思い出した。
今の企業ブースが立ち並ぶ姿とは違い、実にのどかなものだった。

その頃は、本当に手作り感覚で、ほとんどの人は、地べたにザコをひいて、座って売っていたものだった。

その代々木公園の野音近くから出発して、渋谷、原宿を廻って、イラク戦争の反対デモを行ったことも会った。
その頃は、ブラスバンドといっしょに、アコーディオンを弾きながら歩いたものだった。minorinomiさんとか宮川ジュンさんたちといっしょに。
炊き込みの有機米で作ったおにぎりを配ったりもした。
そんな思いの込められた代々木野音を、石原欲腹都知事がトーキョーオリンピックなどを誘致して、全部ぶっつぶして、バスケットボールコートなんかをつくるそうだ。何がエコロジカルなオリンピックなんでしょうね?
僕たちのどれほどの思い出と、気持ちがあの場所にこもっているのか、わかってくださってるんでしょうか?

そういう色々な思いが、走馬灯のように頭をよぎった。今、それぞれが成長し、よりたくましい(?)姿になって、またこの銀座で再会、あるいは、ついに出会った。

生きていた良かった。もっともっと、生きたい。

もっともっと、多くの人に会いたい。

もっともっと、多くの曲を歌いたい。

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銀座はいつ以来だろう? ちょうど、13日の下北沢のまち歩きで案内役のシモヘイさんが「銀座は旦那衆が集まって、建物の高さ制限を行政の高度化政策に反して、つくった。下北沢では、地主たちがそこまで独自性を取ろうとせず、結局行政におしまかされつつある」と言っていたので、銀座に来る機会が今日あったのは、ある意味偶然とはいえ、うまく出来過ぎ。

で、行ってみたが、どうもあまり魅力を感じさせなかった。確かに、高さはだいたいそろっている、でもそれぞれのお店の魅力が感じられない。

結局NYにいっても、5番街よりイーストヴィレッジ、ロンドンに行っても、Kings Rd.辺りよりも、Brick Lane辺りを好む感性は否定できない。
でも、銀座みたいな場所があるから、下北沢みたいな場所もある。都市にはその両方があるからこそ、都市なのだろう。
経済的にも、高い粗利を稼いでいると思われる銀座あたりの利益が、廻り回って、シモキタにも落とされていくんだろうから。しかし、下北沢で店をやっていくのは、本当に大変だ。粗利率は銀座ほどとれないのに、家賃は銀座並みなんだから・・・!!!
壊れよ、下北バブル!
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by ganpoe | 2009-06-14 21:25 | Art
2009年 06月 14日

装苑賞 高橋悠介

シモキタでお世話になっているジャーナリストの高橋ユリカさんの息子さん、高橋悠介さんが、
日本のファッション新人賞では最高に権威がある装苑賞を受賞した。

「装苑賞(そうえんしょう)は、新人デザイナーを対象とした公募のファッションコンテスト。1956年、女性向けファッション雑誌「装苑」創刊20周年を記念し、創設された。歴史が古く、現在では新人デザイナーの登龍門といわれ、これまでにコシノジュンコ、高田賢三、山本寛斎、山本耀司など数多くの著名デザイナーを輩出している。」

ちょっと前のことですが、受賞後すぐには聞いてたのですが、現在書店発売中の雑誌『装苑』に記事が載っているので、今取り上げました。
下北沢でのいろいろなつながりを記しておくのも良いかと思い、記しておきます。

http://www.bunka.ac.jp/soen/

一度、ユリカさんの出版パーティーで見かけただけですが、おとなしそうでいながら、うちに秘める情熱のようなものを感じました。 

おめでとう!  
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by ganpoe | 2009-06-14 12:01 | Art
2009年 06月 02日

Afrikawaii 梅ちゃんのアフリカ個展

西荻でアフリカショップ「梅田洋品店」をやっている、友達の梅ちゃんが、なんと銀座で個展を開くそうだ。

梅田洋品[展]

テーマは、「アフリカワいい」

・・・個人的には、「アフリカっこいい」とか、「アフリ快感」とか、「アフリ勝手にやるぜ」とかの方が好きだが・・・時代遅れか。

今日は、私も梅田洋品店ではないけど、アフリカンフォーレストという店で買った、アフリカシャツで、ちょっと派手に決めていましたよ。 派手だけど、これはアフリカでは正服で、サラリーマンのスーツみたいなもので、みんなこれで通勤しているそうだ。(うそ)

。。。。。

【期間】6/11(木)〜16(火)
【時間】12時−20時(16日は17時まで)
【会場名】Gallery S.c.o.t.t / ギャラリースコット
【住所】104-0061 東京都中央区銀座7丁目7-1幸伸ビル地下 1階
【最寄り駅】東京メトロ『銀座駅』(銀座線・日比谷線・丸の内線)。[A2]出口から徒歩5分(A2出口をでますと四丁目交差点)
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by ganpoe | 2009-06-02 23:10 | Art
2009年 05月 10日

愛についての100の物語  金沢21世紀美術館

9日の土曜日、朝からシモキタに開業予定の事業計画書に手を入れる。

清志郎の葬儀に顔だけ出したかったが(長蛇の列になるのは見えていたので)、14時からのミーティングにも間に合わない状態。とりあえず、PCを持ちながらシモキタに向かう。

行く途中で考えていたのは、金沢のこと。

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金沢の21世紀美術館に関しては、既にかなり有名なので、あまり付け足すことは無いと思う。
http://www.kanazawa21.jp/
http://ja.wikipedia.org/wiki/

能楽堂、金沢大学関連の教育施設があったところに建って、これも市役所としては日本ではとてもきれいなレンガ色の建物の隣に立っている。

外に開かれた美術館というコンセプトで、芝生地区、屋内常設展示場・図書館(ここまで無料で入れる)そして、最奥部の特別展(ここは有料)という順番に内に入っていく。

現代美術を中心にしていて、既に美術と言いながら「美」のみを求めているのではないが、この建物と芝生、そら、そして隣の市役所との色のコントラストは美しかった。

現代美術は、今の世界/考え方をちょっと違う角度でみたらどうなるかな?というのを見る人にも「体験」させる、というのが一番大きなところだと思う。また、芸術家 それに対して 観客 というのではなく、制作者と参加者という感じで、お互いの相互作用で作品を味わえ、それがまさに「体験」となるような趣向にある。

単純に楽しめ、新たな世界に触れた!という気分になれる。たとえば、この美術館の真ん中にプールがあるが、実はみずが入っているのは、ほんの表面だけ、よく見ると下に人がいる。空間なのだ。 日常的に見慣れているプールだって、よく観察すると違うものが見えてくる。
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この日はしとしと雨が降っていたが、ある部屋に行くと天井から水が少しずつ落ちてくる。それが、御影石の床にあたり、ぽたぽたと良い響きを建てている。そう、天井ではなく、それは空だったのだ。これは美しい部屋だった。
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現在の企画展は「愛についての100の物語」であった。

本当のところ、これらがすべてどうして「愛」についてなのかは分かりにくかった。多分、これらそれぞれがどうして「愛についてなの?」と考えさせるのが趣向なのかもしれなかった。

一つは、空洞についてだった。一つは燃えていくピアノについてだった。一つは、抱き合う男女の像だった。一つは、パレスチナで離ればなれになった母娘だった。一つは、壁に反射される赤い光だった。一つは、卓球台にボールが当たるたびに鳴る音だった。一つは、消費だけされるセックスだけではなく螺旋的にいつまでも高まっていくエロスについてのアジテートだった。一つは、ジブリのアニメにでてくるような「壊れた窓と窓枠」だけで出来た城だった。一つは、みんなの心拍数が電球に移り245ほどの点滅する電球たちになり天井にぶら下がっている姿だった。

谷川俊太郎の「あい」という詩が渡された。

「あい 気持ちはだれでも知っている
愛 悲しいくらい好きになること
・・・・
あい はるかな過去を忘れないこと
愛 見えない未来を信じること

あい くりかえしくりかえし考えること
愛 いのちをかけて生きること」

本当だろうか? 愛によって死ぬ人だって多くいるじゃないか。愛によってひどく傷つく人、人を傷つける人だっているではないか。罪悪感にさいなまれる人だっているではないか。

教科書的な谷川の詩は好まない。

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そして、土曜日、ミーティングあと、引き続き、シモキタを歩いていたらシモヘイさんと名古屋から来ているNさんと出会い、伊藤ヨタロウ下北沢駅前劇場でやっている「針」という劇にでるから行こう、ということになって、享楽主義者の私はのこのこ付いていった。

伊藤ヨタロウさんが清志郎の葬儀に行けなかった私のために(ではないが)清志郎バージョンの「デイドリームビリーバー」を舞台の上で歌ってくれた。

この劇の世界は王国であり、人々の幸せのために三つの法律を制定することにした。
1。ひとをにくまないこと
2。独占しないこと
3。実際以上に理想像に仕立て上げないこと

これを守れば余計な欲望も生まれることも無く、現在の不況も乗り切れるそうだ(笑)

さて、そのなかで仕立て屋と王女の恋とか、貧乏な兄と病気で幼児的な妹とか、いろんなエピソードが繰り広げられ、どれもが悲劇的で不幸せな結果に終わる。

最後に、この法律を考えだした魔法使いがこんなことを言う

「人を憎む」「独占したがる」「必要以上に理想像に仕立て上げる」これらこそがすべて愛というものではないか。そして愛し合った彼ら達はこれらの法律を破り、憎み合い、傷つけあい、幸福にもならなかった。でも、幸福よりも愛を欲望する人々を禁止することは良かったのだろうか、と。
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この劇は傑作と言えるかどうかは分からないが、少なくとも谷川の詩に感じた違和感は無い。傷つけ合い、奪い合い、罪悪感に苦悩する愛する人たちの姿がある。

金沢で歩きながら、愛について考え続けざるを得なかったが、傷つけ傷つけ合うしか無いじゃないか。
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そして、劇が終わり、一緒に食事した後分かれて、また深夜、シモキタを一人で駅に向かっていたら、ミスラベンダーさん、くーにゃんらに今度は出会った。すると、駅前で歌っているのはミホさんだよ、と言われみたら確かにミホ。そこにさらに駅からでてきたチルチルが合流し、みんなで、ミホの痛みを込めた愛の歌を聴いていた。

少しかすんだ満月にまで、その美しい声は響いていった。

昔よりもずっと、人に伝わるようになったその声が。
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by ganpoe | 2009-05-10 13:51 | Art
2008年 12月 07日

ブレヒトと加藤周一

きょう、Tokyo International Playersのブレヒトの劇を見てきた。「第二次大戦中のシュバイク」だ。

ナチ占領下のチェコスロバキア/プラハでなんとか生き抜いていっているシュバイクという口達者な商人(?)とバーの仲間達の話である。

背景は暗いが,ウィットが効きまくったコメディ。
バーにやってきたSS相手に,ヒトラー批判をしているところを見つかりそうになって,あわてて「総統様にとっては,僕たちがここでピルスナーを飲んでいるとと同じぐらい簡単に世界を征服できるんだ!」と口達者に切り抜けようとするが,今度はSSに「ヒトラーは征服しているのでない。平和のために自衛のためにしか軍力を使っていない。」とどこかの国で聞いたようなことを言われて墓穴を掘る。しょっぴかれるが,SSの娘が犬をほしがっていると聞いて、犬の取引を商売にしているんです,といってかわいい犬を渡すことを条件に釈放される・・・

作曲家,アイスラーと組んだミュージカルでもある。
クルト・ヴァイルとは比べられないが,いろんな民衆音楽をうまくアレンジさせた曲であった。

この劇団は東京で英語の劇をやるのだが,年に4回ぐらい公演していて,なんと120年ぐらいもの歴史があるそうだ。

それを見て帰ってきたら,89年の時を生きてきた評論家の加藤周一が無くなったと聞いた。

実家が,朝日新聞を取っていたので,彼の「夕陽妄語」は中学生ぐらいから読んでいた。「羊の歌」などを読んで,海外留学に憧れて,本当に行ってしまったりした。古本屋で著作集も買って読んだものだった。

ただ,そのうち,彼の評論に鋭さを感じられなくなって,柄谷行人とかに行ってしまい,すっかり読むこともなくなったのだが,3年ぐらい前に「九条の会」を横浜に見に行ったときに見たのが最後になった。

とはいえ,「羊の歌」の文体は今でも好きだ。

これで「マチネ・ポエティーク」の3人とも無くなってしまった訳で,いわゆる戦後派の人たちもほとんどいなくなってしまったのかな。

「マチネ」の人たちがやっていた日本語の詩で脚韻をふむ,と言うのはずいぶん馬鹿にされたようだけど,僕は歌詞を書いたりするときにかなり参考にさせていただいた。

これからは,彼みたいな「何でも知識人」の時代から,個々の個別の問題、より政治・経済を厳密に分析できる専門家/ローカルでの運動の時代に移っていくと思うけど,民主主義/平和主義と言う基本の枠組みはかわりはしない。
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by ganpoe | 2008-12-07 11:51 | Art
2006年 09月 22日

北川裕二展 at 四ッ谷アート・スチュディウム

私が以前、一緒に活動していた美術家の北川裕二さんの展覧会を見に行った。彼が講師をしている近畿大学四谷分校(?)の1階にあるアート・スチュディウムで開催されている。道路に直接開いた、実に入りやすい場所である。

会は、「塵が窓を通過する(Dust passes through the window)」という題である。

作品は世界に通じる窓である。という意味がこめられている。では、塵はなんだろう?

塵は実は空気中、地表上にたくさんあるのだが、まず決して見ないものである。しかし、それが実は、世界の中のいろいろな物質の間の交流を仲介しているものでもある。塵にこそ世界の本質があるのかもしれない。

物自体、という言い方がある。人間は自分の持っている感覚だけで、物を知覚しようとする。しかし、それは感覚器官に限界があるから、理解する、知覚するのも実は限定されたものでしかない。

たとえば、りんごを赤いとか丸いとか、皮が滑らかとか、重い、おいしい、などと理解することはできるけど、「りんご自体」をそのものとして理解することは不可能なのだ。実は私たちが見ているものは、塵が見えない、というよりも、「塵しか」見ていないのかもしれない。

タイトルだけで、話が長くなってしまった。

作品は、ある技巧を用いて作られている。絵の具を塗りたくった紙を二つ、合わせあい、相手側に残った絵の具の跡で、絵を構成していく、という方法だ。そこには意図性と偶然性がマジありあい、思わぬような結果をもたらすことがある。

まるでモネの絵のような印象派的な仕上がりがあれば、歴史を帯びたにじみが残る石壁を思い起こさせる絵もある。北側さん自身が宇宙から見た地球の姿を見つけたものもある。ある絵には、私はリオのカーニヴァルでの踊り子を見た。

私が作品を評価するときに欠かせない要素がひとつある。それはインテンシティーだ。

密度の高い作品をどんどん作り出し始めた北川さんの作品にこれからも注目したい。

http://correlative.org/exhibition/2006/kitagawa/top.html
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by ganpoe | 2006-09-22 11:47 | Art
2006年 08月 18日

中国、GTの海外アニメ放映禁止

中国が海外アニメのTV放映を、ゴールデンタイムに限り、禁止した。

国内アニメの育成のため、というが、育成のために海外文化の門戸を閉めてうまくいったためしは無い。たとえば、日本のアニメ業界はディズニー映画の影響を多大に受けたために発展した。

となると、本音は、(海外アニメのほとんど(9割)が日本アニメであることを考えると)日本制裁のためではないであろうか。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/column/syunzyu/20060817/20060817_001.shtml
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by ganpoe | 2006-08-18 01:40 | Art
2006年 07月 27日

八ヶ岳

先週末、八ヶ岳に行った。なぜかは知らないけど、八ヶ岳、その向かいの南アルプス、あのあたりの山が、空間が大好きだ。清春も清里も好き。休みになると、あの辺りに向かう。

今回はゆっくりしようとしたけど、結局車を借りて、美術館めぐりをしてしまった(天気悪かったし)。絵本美術館を回ってみたら、実に数限りなくあった。しかし、最後には結局、大江健三郎の文に彼の妻が絵を書いた本に落ち着いた(笑)。

彼は今、池袋ジュンク堂で、大江健三郎書店というのをやっているそうだ。不思議な人間ですが、やはりなんともいえぬ魅力がある。

なぜ学校に行くのか?死んだ子供たちが経験したことを再び学ぶためだそうだ。

理屈も分からず、心に迫った。
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清里はキリスト教の精神のポール・ラッシュが開いて、自然を残す運動をしてるらしいけど、逆に開けてしまった気がする。キリスト教の教会は壁に覆われて外の自然に対立する。

神社や仏教のお寺は自然を残すのに大きな役割を担ってきたのではないでしょうか。

・・・車というほど不便な乗り物はない。のんびり運転していたのに、なぜか、あんな田舎道でぴたりと後ろにつけてくる奴がいた。早く抜いてください、とゆっくり走り続けていたが、しかし、抜く勇気はない。ああいうつまらないドライブ精神を持って、あんな田舎道を行こうという考えが分からない。


久しぶりに本当の日記見たいのを書いた。なんかいつも論文みたいのを書かなければいけないようなプレッシャーを感じてるんだよね(笑)。
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by ganpoe | 2006-07-27 18:58 | Art
2006年 06月 26日

アフリカ・リミックス展

昨日、森美術館のアフリカ・リミックス展に行きました。よかったですよ。

最初の「私の父は歯をなくした。だから父を噛める」というフレーズが印象に残った。あと、「ポスト―エキゾチック」の時代、というのもよかった。どっちもポスト植民地主義のことを語っているのだと思う。

それから「ヴィクトリア時代のある慈善家の部屋」という作品もよかった。イギリスかフランスの立派な部屋。でも装飾はすべてアフリカ生地。つまり、イギリスやフランスでアフリカに慈善事業をする人たちの金は、実はアフリカから搾取したものである、ということを記している。

次に、大きなノートで僕たちが自由に書き込める作品。そして15秒ぐらい後に、前にある大画面で書いている様子が映し出される。これはよかった。ピースマークとか「We Love You」とか、豚の顔したひまわりとか。たくさん書いてきた。

いつも思っていたのだが、「絵を楽しむ」美術館では、「絵に手を加えないでください」といわれ、音を楽しむクラシック演奏会では 「音を出さないでください」といわれる近代芸術のあり方に腹が立っていたときだった。19世紀まではクラシック音楽の最中も一緒に歌ったり、踊ったり勝手にやれたそうだ。

それが本来の芸術のあり方ではないだろうか。芸術というより、芸能。

それを覆す試みとしてこの作品はすごくよかった。

作品ではもう一つ、鏡がいくつかぶら下がっていて、そこに光りが当てられて、片方の壁には、鏡の影が映り、逆の壁には鏡に反射した光が映る、というのがものすごく美しかった。最近、私が似たような企画をある会社に持って行ったのだが、却下された。「怖い」といわれた。でもこんなに美しいではないか!

ちなみに、鏡が動き続けてるので、モーターかなんかで動かしてるのかなあ、と考えていたら、入り口の上に扇風機がついていて、鏡に風を送っていたのだった。

この作品を非電化で作れれば、最高だけど、さてどうするか。戸外で太陽の光りで、自然の風で揺れるようにする?

展示会の最後に売り場があって、ありました!梅田洋品店作品。ちょうど買っていた人がいたので、「僕の友達の店なんです。よろしくお願いします」と言っておいた。毎度あり!!
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by ganpoe | 2006-06-26 08:00 | Art
2005年 06月 29日

ブレヒト「アルトゥロ・ウイの興隆」

ドイツ年ということで、がんばって関連事業にいってます。

ピナ・バウシュにも行った。

そうとは思って無くっていったところが、関連事業だった、ってのもあった。バイオリンの石田泰尚目当てで言った神奈川フィルの「カルミナ・ブラーナ」公演がそうだった。

で、こちらは正真正銘(?)の関連事業でありまするベルリーナー・アンサンブルによる演劇。ブレヒトの「アルトゥロ・ウイの興隆」です。ハイナー・ミュラーの演出。 といっても舞台セットは微妙に違っていたようですけど。

すごーく良かった。

何が良いといって主演のマルティン・ヴトケ、すごすぎ。
コミカルな演技は最高に笑えるし、ヒトラーの声帯模写は完璧だし、不気味さを漂わせる演技もよかった。

他の俳優も良かった。「俳優」役の俳優は「グッバイ・レーニン」にも出てたらしい。

舞台下を頻繁に通る地下鉄は、東ベルリンの下を通っていた西ベルリンの地下鉄を暗示してるのだろうか。それとも、ユダヤ人を大量に収容所に「配送」した電車だろうか・・・

ただ、字幕ではなくて、無線イヤホンは俳優の声が聞こえにくくなり邪魔であった。腹が立って、途中ではずしてしまったら、ずっと楽しめた。言葉の発音の仕方、抑揚、リズム感あるブレヒトのせりふ。

・・・ただ、何言ってるのか分からなくなってしまったけど。

昔、2年ほどドイツ語を習った記憶はあるのだが、肝心な習ったドイツ語の記憶が無い・・・

必見、・・・ところが、もう終わってしまったのであった。これが映画のレビューと違って残念なところです。
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by ganpoe | 2005-06-29 23:52 | Art