地域, 政治, 経済そして音楽・・・浅輪がんぽおのブログ

ganpoe.exblog.jp
ブログトップ

<   2005年 12月 ( 3 )   > この月の画像一覧


2005年 12月 12日

矛盾を持ちながらも少しずつ

コメントに書いたことをこちらにも書いときますね。
=============

>自分が少し関わってる、IT業界--比較的自由度が高く発言権もあったりするようでいて、やっぱ辛そうな独立事業者的「職人」が多数いる--を念頭に、うーーむ、アソシエーショナル?そうなるだろうか?と考え込んでしまいました。

私も考え込んでしまいます(笑)。こちらの本をご参考に。
21世紀理論研究会 (2005) 『資本主義はどこまできたか』  (でも難しかった・・・)


・・・どうなんでしょうね。とにかく資本というのは二面性ありますから、権限上げて発言権も高くしながら、同時にそれは個々の労働者の責任が高まるから、労働時間も再び長くなって大変にもなる。(岩波新書『働きすぎの時代』)。

しかし、それでは大変だからということで、企業も労働者の報酬としてボーナスとかストックオプションとかESOP(従業員持株制度)とか色々与える。なんでも両面性ありますねえ。

それから自由といっても、売り上げとか、利益率の確保、コスト削減とかの第一目的は変わりませんしね。また、このようなコア従業員以外は、パートタイムとか賃金格差が広がるでしょうし。
とはいえ、そのような問題がありながらも、より多様なニーズにこたえようとして、そして環境への負荷もなるべくかけないような経営手法、経済構造とかに大まかに言って移っていっているのも確かで、他人のニーズを満足させることによってしか成長できないという資本主義はやはり、二面性を持ちながら自己変革しているのは確かではないでしょうか。

しかし、多様で利益になりにくいような生活ニーズをどうするか、ということもあり、やはり社会的経済というようなのも捨てれません。やはり企業は利潤を上げなければ存続さえもしていけないのですから、社会的ニーズというのは、大事にしてる、と唱えることはするのですが、いざ実行していく、となると、つまづいてしまいます。社会の目を見ながら少しずつ、どちらかというと消極的に変化していくのでしょう。

ただ、これからはポスト工業化の時代、ということで、今までの工業化、高度成長というのはいわゆる発展途上国、とかに移っているのですから、先進国においては、環境とのサステイナビリティー、文化の香りを高める、医療・福祉などの細かな生活ニーズを達成していく、そしてそういうようなものを組み込んだものでない限り、経済としてもやっていけないのではないでしょうか。そういうのが、さらに現在発展中の国とも、影響を与えて、世界的にも変わっていける、のでは。・・・楽観論ですが。
[PR]

by ganpoe | 2005-12-12 10:19 | Social or Economic
2005年 12月 07日

オルタナティブな世界を目指して(1)

最近、忙しくてまともな更新が出来ません。(といっても傑作の歌詞を次から次へと載せてますが(?))仕方ないので、こんなのでも載せてみます。

===========
産業革命の後、産業・商業・金融における資本主義市場経済の発達が、人類に大きな豊かさをもたらしてきた。しかし、同時に多くの問題を引き起こしたことも確かであり、例えば、貧富の拡大、環境問題などが挙げられる。そこで、ほとんど産業革命と同時に、資本主義のオルタナティブとなる経済が考えられ、試みられてきた。

そのような歴史を踏まえながら、資本主義経済の変化の可能性を探る場合、それには2つないし3つの方法が大まかに考えられてきた。

一つは、資本主義内部の論理から、それが変化するとしたら(自然法則的にせよ、それとも意識的にせよ)どのような方法があるか、というものである。これは、古くはアダム・スミスの「見えざる手」という考えに存在し、また、『資本論』の段階のカール・マルクスにもあったものだ。例えば、『資本論』において資本制の信用制度などの発達、株式制度の成立による所有の社会化、さらに生産の社会化等が労働者協同の次の段階に近づける、と幾度も述べられている。特に第3巻第27章が有名である。

もう一つの変革の方向は、カール・ポランニー(1944)に代表されるもので、彼によれば、歴史的に従来の共同体の互酬制や封建的権力によって抑えられていた市場経済が、それらの枠を超えて世界化させることに成功して、資本主義市場経済は生まれたものである。そこで、新たな形の互酬制や法的規制などを通して、再び市場経済をそのような「社会」の中に「埋め込む(embed)」ことが必要だという 。例えば、公害問題などに対処するように住民運動などが企業の活動に規制をかけていったりする運動などがそれに含まれるのではないか。最近では企業からも、投資家対策もあり企業の社会的責任(CSR)などが唱えられるようになっている(稲村、百田 2005)。

ここで注意しなければならないのが、資本経済を抑えこむ(調整する)役目をするのが、国家(例えばソ連型社会主義)あるいは国民(例えばファシズム)という似たような思考との類似である。「市民社会」あるいは「都市」「農村」というような単位と資本=国家との対抗・連関はいかに、という問題設定もありえる。例えば、中央国家と地方自治体(さらにそれらとNPO,NGOなどとの関連)は同じ「公的機関」といえども、完全に同じものとして論じられるのか。ブルジョア社会がつくりだした個人・自由主義のもとでの新たな諸協同体が、たとえば文化・生活者のニーズを打ち出し、それを破壊するような経済を抑制する、あるいはそれらニーズを活性化するような経済構造などに調整していく、などの形がありうる。その点で注目されるのが、欧州で議論・実践されているいわゆる社会的経済、米国における非営利機関、日本においては「地域社会による政治経済」への影響・連携を探る議論である(Miyamoto et al. 1990, Nakamura 2004)。もちろん、地方自治体といえども、中央国家の出先機関という性格もありうる。それから、グローバルに展開できる企業はどれほど地域の欲求に沿うかも難しい問題である。

実を言うと、これらに加えて、市場経済の中に「オルタナティブ」な経済機構を作って改良していこう、という考えもある。たとえば、協同組合や、NPO、社会的経済、といったようなものである。これはある種、上の二つの間に属するようなものであるが、それとは別に、市場で回りにくい物資、サービスを提供する仕組みとして、資本主義経済と共生できるものでもある。つまり、資本主義経済といういわゆる母体に対して「寄生(parasite)」という関係に立つのか、あるいは「共棲(Symbiotic)」するものか、それとも、「がん組織(Cancerous)」のように、母体を少しずつ変革していってしまうようなものなのか、という観点からすれば、どのような可能性を持つのかという分析も必要である。例えば、協同組合的な考え方が効率的でもあるとされ資本企業内でも順番に取り入れられていくと考えれば、資本主義は変わっていくだろう(Oguri 1999)。

私はこれら双方、あるいは三つのどれかが中心的で、ほかは付随的だとは考えない。それらが同時に進行・存在していなければならないと考える。しかしここでは、第一の「経済システム内部の構造」をしっかりと見極めることからはじめたい。有井行夫が言ったように、株式会社というものは、所有(投資家)の社会化、機能資本の法人化、さらに生産の社会化を拡大させ、その結果「所有と機能の分離」を進めさせる(Arii 1991)。それは様々な社会的矛盾を起こしながらも、生産のより高度の社会化を起こさせる――それは現在の情報技術の発展による「ネットワーク化」という現象まで続く。ここに、所有の私的性と生産(労働者たち)の社会性の矛盾が拡大する。つまり、株式所有者は所有分の利潤分配(配当)を受けるが、労働者の側では、総労働生産をそれぞれの労働者に分配するという形ではなく、賃金契約という形で支払われる。それは労働の貢献度に基づいて所有するという私的所有制度の根幹に矛盾する。よって、従業員は利潤の分配制への要求を高め、またより拡大した企業の「機能」のコントロールへの参加要求を高める。それは、資本側からも、より知識労働を重視する社会化した生産に対応するために、従業員の自立化、経営決定権の増大などが要求されるようになっていく。つまり、長期的にはアソシエーショナルなもの(つなげる+個人の自由な参加)に資本主義経済を移行させていく(移行する)ことによって、それは変革できる(する)のではないか、と論じられる(21世紀理論研究会 2005)。

しかし、それは資本の自動的運動のようでも、第一に、実際の経済には様々な政治アクター、不完全な情報に基づき行動する大小さまざまの企業たち、さらに市民運動、規制の状況、さらには空間的距離、地理的・交通的構造などが多様に影響する。その結果として現れる経済状況の多様性を分析することが出来ない。第二に、政策論・運動論的には労働・市民の自治体、国家、国際組織などをも通した企業内・企業間、企業と地域、世界との関係をより民主化しようという動きが存在しなければ企業構造は完全には変化しない。(もちろん、そのような対抗運動まで社会弁証法的に広義の資本の動きに含める――アンチテーゼとしての対抗運動――と主張することも出来るが。)つまり、社会の本当の必要・ニーズを反映する経済システムとして、ここに第二のポランニー的な「社会的埋め込み」、地域の取り組みなどとが関わっていく必要があるだろう。よって、経済理論的、社会的埋め込み、この二つの方向は完全には分離して論じられないものである。

(つづく)
[PR]

by ganpoe | 2005-12-07 11:13 | Social or Economic
2005年 12月 04日

地球は青かった


地球は青かった

C
そして俺達のずっと下の子供たちは
G
宇宙に漂う星屑に住むだろう
F
それは星々の間をめぐるだろう
C            G
地球の空気は汚れてるだろう。

C
ゴムホースのようなパイプの中で
G
人々はチューブに乗って愛を語るだろう
F
そして語ることは何もないだろう
C            G
眼球は落ち込むだろう

F         C
そして奴等は時空を超えて
F        C
俺達に会いに来る
F         G
奴等は空を見上げて言うだろう
  Bb    F    C
ああ、地球は青かった

そして俺達のずっと下の子供たちは
俺達大人の子どもであることを恥じるだろう
木が緑から白に変わるのをみるだろう
田んぼから火が出るのをみるだろう

オイルまみれの海の上で
軍艦とグリーンピースが血を流し合うのを見るだろう
何かが落ちはじめるのを見るだろう
それは壁の外と内で起きるだろう

そして怒りに燃える奴等の前で俺達は何を語る
両手を使い分ける
ああ、地球は青かった

C G F C G
F       C
そして奴等は悟るかもしれない
F       C
この世界を変えることを、
F               G
それを変えるのが変えることではないことを
Bb     F     C
まず自ら変わっていくことが変えることであることを
Bb     F      C
やつらはエピタフ(墓碑銘)のようにいい続けるだろう
Bb     F   C
ああ、地球は青かった (繰り返し)

(c)1993 Takahiro Asawa All Rights Reserved.
[PR]

by ganpoe | 2005-12-04 12:55 | MY Music & LIVE