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2006年 06月 29日

下北沢フォーラムの講演会

 再開発で、小さな商店を軒並みぶち壊して道路を作ろうという計画が世田谷区を中心に進んでいる下北沢。

 昨日、その問題を考える下北沢フォーラムの講演会に行ってきた。

 宇沢弘文、町村敬志、吉見俊哉など、草々なるメンバーでした。

 ジャーナリストの高橋ユリカさんの「下北沢をそのまま残す、というのは違う、下北の問題は緑がないことだ」という指摘が一番良かった。

 私が唯一師匠と呼ばさせていただいている中村剛治郎先生が昔こういっていたのを思い出す。「みんな都市とはこういうものだ、と色々言っていますが、その定義で緑があること、というのは見たことが無いんですね。私は都市の定義として、どうしても市民の憩いの場としての広場と緑、それが十分にあること、というのを入れたい。」

 改めて、先生の先見性に感心した。

 もう一つ、下北沢は都市として完結しているか。という問題にも触れてほしかった、結局、昼夜間人口を計ることが大事なのだが、(要するに昼間、人々が仕事や学校に集まるのが都市。夜の人口の方が多いのは郊外、ベットタウン。この定義でいくと横浜は東京のベットタウンであって、都市ではない。神戸は昼間の方が人口が多いので、都市である。)そのとき、下北を単位として「街」を語るのは正しいが、「都市」ではない。

 それからこのような再開発には土建屋から、やくざ、賄賂なんて絡んでるのは当たり前であって、運動するなら、そのくらい覚悟で死ぬ気でやるべきだ、と思った。特に学者は言葉だけで、覚悟が無い。次のアップルのスティーブ・ジョブスの下の言葉をよく噛みしめてほしいですね(笑)。誰も皆死ぬんですから、覚悟を決めるべきなんですよ。


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http://blog.livedoor.jp/tomsatotechnology/archives/50067272.html

 誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだから、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。

 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。
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by ganpoe | 2006-06-29 18:43 | Social or Economic
2006年 06月 26日

個人メセナ

日経新聞の日曜版が面白い!

昨日もたくさん面白い記事があったのですが、一個だけ紹介すると「個人メセナ」というのがありました。今は自治体はかねないし、企業は効率優先でけち臭いし、で芸術に金が回りにくい。

 そこで引退系のシニアを中心にわずかな金を持ち合って、地元のアーティストや特定のテーマを対象としたアーティストを援助してるそうです。

 後はお寺を解放して色々な展示会に使ったり、コンサートを開く、というケースも多いそうです。そういわれれば、われわれTCXもお寺でシンポジウム+ライブをやったことがありました。九十九里浜で。

 またやりたいなあ。

 そして、TCXの役割もこれではないか、と思ったのです。

 「啓蒙芸能への支援・援助」
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by ganpoe | 2006-06-26 18:30 | Social or Economic
2006年 06月 26日

アフリカ・リミックス展

昨日、森美術館のアフリカ・リミックス展に行きました。よかったですよ。

最初の「私の父は歯をなくした。だから父を噛める」というフレーズが印象に残った。あと、「ポスト―エキゾチック」の時代、というのもよかった。どっちもポスト植民地主義のことを語っているのだと思う。

それから「ヴィクトリア時代のある慈善家の部屋」という作品もよかった。イギリスかフランスの立派な部屋。でも装飾はすべてアフリカ生地。つまり、イギリスやフランスでアフリカに慈善事業をする人たちの金は、実はアフリカから搾取したものである、ということを記している。

次に、大きなノートで僕たちが自由に書き込める作品。そして15秒ぐらい後に、前にある大画面で書いている様子が映し出される。これはよかった。ピースマークとか「We Love You」とか、豚の顔したひまわりとか。たくさん書いてきた。

いつも思っていたのだが、「絵を楽しむ」美術館では、「絵に手を加えないでください」といわれ、音を楽しむクラシック演奏会では 「音を出さないでください」といわれる近代芸術のあり方に腹が立っていたときだった。19世紀まではクラシック音楽の最中も一緒に歌ったり、踊ったり勝手にやれたそうだ。

それが本来の芸術のあり方ではないだろうか。芸術というより、芸能。

それを覆す試みとしてこの作品はすごくよかった。

作品ではもう一つ、鏡がいくつかぶら下がっていて、そこに光りが当てられて、片方の壁には、鏡の影が映り、逆の壁には鏡に反射した光が映る、というのがものすごく美しかった。最近、私が似たような企画をある会社に持って行ったのだが、却下された。「怖い」といわれた。でもこんなに美しいではないか!

ちなみに、鏡が動き続けてるので、モーターかなんかで動かしてるのかなあ、と考えていたら、入り口の上に扇風機がついていて、鏡に風を送っていたのだった。

この作品を非電化で作れれば、最高だけど、さてどうするか。戸外で太陽の光りで、自然の風で揺れるようにする?

展示会の最後に売り場があって、ありました!梅田洋品店作品。ちょうど買っていた人がいたので、「僕の友達の店なんです。よろしくお願いします」と言っておいた。毎度あり!!
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by ganpoe | 2006-06-26 08:00 | Art
2006年 06月 14日

ワールドカップの真相!経営学的視点で見る。

表層文化評論家(自称)の蓮実重彦さんが次のようにワールドカップについて申しているそうです。。
>http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C1156498052/E20060603184428/index.html

おっしゃっていることにこれといって反対意見はないのですが、少し付け足したいことがあります。

(ほんとの事言うと私はそもそも日本チームにあまり興味がないので分かりません。ただ思うのは、今回は1次リーグで終わりそうなので、あの不運のカズを出してみるとかして、過去の日本サッカーを引っ張ってきた人に恩返しをするのが筋だったと思います。)

経済的関係の感覚を知るということを、サッカーの話題を例にして書いて見たいと思います。

第一に、ワールドカップ(以下WC) は1にも2にも、スポーツではなく、メディアビジネス、キャラクターグッズビジネスである、ということです。

プロスポーツはすべてそうです。まず、そこから考えないといけません。なぜジーコを監督にしたのか、なぜジーコを使い続けるのか、なぜ勝ち目のあまりないと分かっている日本チームが勝つかのようにメディアが分析し続けるのか、すべて明らかになりませんか?

そこで、第2です。日本チームは第1次リーグで終わってしまうでしょう、残念ながら。そのあとのワールドカップの視聴率は下がるのではないでしょうか。だから二つの手を使うと思われます。

 ①WC始まるまでにメディアで盛り上げ盛り上げ続けて、始まるまでに儲けてしまう。プロモーションする。

 ②日本チームが負けた後もWCを見るように、他のチームの紹介も折を見てしておく。

テレビを見てください。そしてそれに踊らされて、いろいろ話しているわれわれを見てください。みんな、広告会社と、キャラクターグッズ会社の収益と変わるのです。

スポーツをTVで見るより、スポーツをしませんか?
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by ganpoe | 2006-06-14 20:53 | Social or Economic
2006年 06月 01日

協同:新会社法からその後へ

今年の5月1日から施行されました、新「会社法」は、協同の会社作りのためにも、非常に興味深いことになっています。

昔、政治経済学の批評家、カール・マルクスは、資本家(資本を所有しているもの)の支配するのが資本主義であって、そこでは所有する力のあるもの、すなわち、財力のあるものが支配する世界になる、その結果、不平等が継続する。と解いた事はご存知の通りです。

 そして、未来の協同社会はどうなると彼が考えたかというと、この所有者の支配から、実際の生産者、つまり経営者としての労働者が支配していく社会になる、ということだ、といっているのです。(資本論第3巻、第27章など)

 そして、一番マルクスから遠そうな日本の新自由主義の政治家、官僚方たちが、なんとも皮肉なことに、それを実行していっているように見えるのです。

 今回の新会社法の一番の特徴は、何より、元有限会社であったような会社に対する変化でしょう。有限会社は基本的になくなって、株式会社を名乗る。

 しかし、その株式会社は、定款によって、経営者自治を高められる。つまり、定款に議決権を限定する株主とする、と書けば、株式(投資)は投資家が行えられますが、実際の経営は、経営者(労働者の代表)が行う、と法的に決められるのです。

 さらにまた、株式の所有数に限らず、議決権は株主全員1票のみとする、と規定することもできます。株式会社がです。

 これは協同組合の話ではありません。株式会社がです。

 協同組合は実は将来の株式会社の姿だ、という説がありますが、それが現実に迫ってきているのかもしれません。

 もちろん、こうなると経営者の横暴が出てくる可能性があるので、経営の公開、チェック機能の強化なども定められています。協同組合でも、経営者である理事会などが腐敗するケースが多々あるのは、同じようなことです。協同組合が万能にいいわけではありません。


 さて、労働者の代表としての経営者でしかありませんが、経営者が自立し出せば、いいのでしょうか。いいえ、何を作り、何で儲けていくか、という目的、株主に評価してもらう「結果」というものは何か、という問題があります。普通、株主は、単に金が増えればいい、と考えます。しかし、それ以上の、生活をよくしていくため、そして環境汚染をしないような、文化も自然も楽しめるような地域づくり、を考え、そのような動機を持つような人々を生むためには、今度の会社法改正のみでは不十分です。

 それぞれの町や村、集落、横丁、などの地域において、多くの人がそのような生活を大事にするように働き、遊ぶようにならなければいけません。株主の動機が、会社の目的が、金儲けのみでなく、生活を良くしていく、というものに変わっていくためにも、この地域の関係という点への注目は重要です。

 なぜ「地域」にこだわるのか。このグローバリゼーションの時代に?

 もちろん、国際的なNGO、あるいは国連などの活動も重要です。しかし、彼らも実際の行動は、それぞれの「地域」での取り組み、となっているのです。

 さらに、先進国が旧植民地を搾取するという構造があるのなら、先進国自体のそうせざるを得ないような内部構造、政治的経済的な社会構造が変わらなければなりません。そのためにも先進国自体が変わる、その中で活動する必要があるのです。

 その時、「生活をよくしよう」と考え、行動する主体はどこにありえるでしょうか?

 メディアでしょうか。インターネットでしょうか?

 もちろん、それらも大事です。 しかし、それらを活用して、実際に行動するには、やはり手作業の直接的な人と人との間の共同作業・対話・企画・実行が不可欠です。

 そのためには「地域」における人と人との、人と自然との、人と歴史・伝統とのかかわりがなくてはだめだと思います。
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by ganpoe | 2006-06-01 13:06 | Social or Economic