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2008年 08月 23日

『東京から考える』

東 浩紀, 北田 暁大:『東京から考える』という本を読みながら考える。

東氏は、人間は、その生物的再生産の必要性から、セキュリティ問題に敏感になる。
下北沢のような「文化」を守るより、セキュリティを重要視すれば、再開発もありだ、と解く。

「再開発」がセキュリティ向上にたどり着くかどうか疑問だが、「生物的再生産」というあられもない現実の前には、個人主義とか自由主義の「理想」も簡単に覆されることがある、という。

筆者自身は、再開発された地域に育ったので、再開発は賛成で、住みやすいという。日荻窪にしばらく住んでいたが、子供が生まれたら乳母車で喫茶店に入れないそうだ。

ポストモダンな現代思想をやってきた人が、こんな思想に現在行き着いているのだろうか。

筆者たちがわざと論じるのを外した、という、経済的な背景が16号線的現実を招いているのであって、それらを『わざと外す』意味が分からない。経済的利害関係を括弧に入れて物事の「表面的」な面のみ論じるという、ポストモダン系の記号論的立場が破綻した議論ではないか。

大資本、大型店の出店規制枠の緩和、自動車販売増のための交通整備、これらがもたらしている現実であって、その結果が、エネルギー問題などによって成り立たなくなってきているというのが問題なのではないか。利益追求が社会的コストの増大を招き、資本の利潤追求も困難にしていく、という。


「地域」というのは、人間と人間、人間と自然との間の交流、交換、交渉・・・が行えうる場所であり、人間の再生産の最低限の領域と考えられる。

そのような「生活」の場としての「地域」というところから政治・社会・経済を考えようというのが「地域政治経済学」である。

「地域」は再生産のためのコミュニティの場、というだけではない。というよりも、面倒ないろいろな「交渉」の中で、個人の意志をどう成立させていくか、という学びの場でもあるはずだ。「個人主義」「自由主義」もそういう主体(Subject)形成の場がなければ、実践的に成り立たない。何かにぶつあたっていく(be subject to)過程で、人間は主体(subject)になっていく。

自由主義と生物的(動物的)再生産というのは二律相反するものではないと思う。

生物的再生産に適した(セキュリティーのしっかりした)地域のためには、「下北沢」的趣味を志向するような個人主義的価値観は多少犠牲にされてもかまわない、というような議論にはならない。

問題はどんな都市が、あるいは農漁村が、いいかということ、ではなくて、そういうことを決定していく過程に、普通の人が加われない社会構造にある、ということなのでは。政治的に、経済的に。
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by ganpoe | 2008-08-23 12:50 | Social or Economic