地域, 政治, 経済そして音楽・・・浅輪がんぽおのブログ

ganpoe.exblog.jp
ブログトップ

<   2009年 03月 ( 3 )   > この月の画像一覧


2009年 03月 29日

日本の家屋/建築はなぜ醜いか。なぜ街が崩され続けるのか?


中古建築物の評価方法が大問題です。

最近、ずっといわれ続けていますが、

日本だと減価償却されて、建物の構造にもよりますが、30−50年ぐらいで、建築物(うわもの)の価値はゼロになります。そんなんだったら、質が良く、デザインが良い物を作ろう、などという気がおきません。

例えば、ある家は農家をやってきていて、離農したので、余った土地に何か建てようと思いました。
しかし、そのために建物を借金して造る。すると例えば、安っぽいレオパレスを建てて、借金して捻出した建築費用を家賃収入で回収できた頃には、30年後で、結局、維持費などもいれれば、赤字になると言う。レオパレスでこうですからね! どうして、デザインもよく断熱などもいい建物を建てようと思えますか?

それに引き換え、欧米、特に欧州では、中古建物の価値は、それと同じ物を今現在作り直したとしていくらかかるか、で測ると言います。それなら、今お金をかけて立派な物を作っておけば、将来に渡って、大きな資産価値を残せることになります。

また、イタリアなど特にそうですが、歴史的建造物は外側は絶対変えては行けない、また、使える色も三色ぐらいに規制されている、など・・・構造的な規制もたくさんありますね。

では、日本はなぜこうしないのか?簡単です、何度も建て直し、土地を転売しまくって、儲け続けようとするヤクザな連中がいるからです。この既得権益はとても大きく、また政治家・官僚にも利益分配されていて、変えるのはとてもとても、難しいです。

【後記】
実勢価格ではゼロでも、固定資産税は建築時の評価額の2割までしか下がらないんですね。

要するにうわ物の市場価格はゼロと評価されていても、固定資産税は2割分払わなければならない。。。。となると、取り壊してしまえ・・・となるのが当然かもしれません。

つくづく、制度がおかしいと思います。
[PR]

by ganpoe | 2009-03-29 23:23 | Social or Economic
2009年 03月 25日

創造都市 ボローニャ

私が大学で師事していた中村剛治郎教授のゼミで、よく当時金沢大学におられた佐々木雅幸氏のゼミと交歓ゼミを行った。

その佐々木さんが書いた本で、【創造都市への挑戦】という名著がある。

この第2章の書き出しはこうだ。

「アメリカの著名な都市研究者、ジェーン・ジェイコブズが「創造都市」と呼んだ、ボローニャに、今新たに世界からの注目が集まっている。」

ボローニャは、いわゆる「オリーブの木」連合の発祥の地である。共産党とは違う、新たな第3の道を探った中動左派のグループであり、実際に町中に多く、協同組合や、連合、アソシエーション、などの組織のオフィスを見る。

街の真ん中に、小さなファッションの店や、宝石の店、陶芸、楽器、さらには、見事なパイプの店などが多く並ぶが、これらの多くはその店の裏、あるいは上の階にある小さな工房で作られた物だ。中小企業/工房が多くあり、それらが協同で情報交換などを行っている。

中小企業が多いが、それぞれが独立している(下請けではない)ので多くの人がいわば「社長」で街の所得水準は大変高い。

また、創立900年以上を誇る世界最古の大学の一つがあり、しかもその大学は、学生達が主役であり、彼らの組合が教授を選ぶ、という形をとったのである。現在、有名な教授としては、哲学者で作家でもあるウンベルト・エーコがいる。(いまでもいるのかな?)

佐々木雅彦先生のまとめによると、このようなイタリアの産業地区の特徴として、次の三点があるとの事だ。

1)インテリアやファッション製品などの消費材にしろ、工作機械などの生産材にしろ特定分野の産業が地域的に集積している

2)地区を形成している企業はほとんどが中小零細企業ではあるが、独自の技術を持って地域内分業を発展させ、互いに水平的ネットワークを組んで物作りをしている点であり、大企業は例外的であると言ってよい。

3)中小企業のネットワークを支える州政府や自治体による支援システムが形成され効果的に機能していること

(同著、54ページより)

「イタリアでは、独創性の乏しい人が大企業で働き、反対に個性的な、あるいは創造的な人物は自ら会社を興すというように起業家精神が大変旺盛であり、新規操業を支援するシステムも整っている。【第三のイタリア】では個性的な製品を作り出すには大企業より、むしろ人間的規模の企業の方がふさわしいとしており、経営者も従業員も対等に話し合って、設計やデザインを一緒に構想する中で独創性あふれる製品が創造されると考えている。」(同57ページ)

より近代の産業に関しては、街をちょっと出たあたりに、特にパッケージング機械の企業がいくつも集積しており、また、30Kmほど離れたモデナ市にあるフェラーリの本社に関連して、高技術の自動車部品工場がいくつかある。

そのようなハイテクインダストリーの一角にBolognaFioreというコンベンションセンターがあり、今現在、【Bologna Childrens’ Book Fair」という児童書関係では、世界最大のフェア(BtoB)が行われている。(それ以外に世界で有名なのは、Book Expo America, London Book Fair, そして、何よりも秋に行われるFrankfurt Book Fairであり、これらは、一般の客があまり入らないが、実に多くの商談が行われるのだ。)

その影響もあり、ボローニャには、出版関係の会社も多い。

2、3人から、10、20人ぐらいの多くの出版社がいろいろな工夫を行って、新たな出版市場を作り出している。

とはいえ、同時にイタリアはローマに本社をおく企業やフィアットを中心とした独占的大企業もある。特にメディア界では、ご存知ベルルスコーニの支配が圧倒的だ。

また、イタリア人はほとんど本を読まず、TVやゲームの力が大きい。
ここで、出版業界としても、ベルルスコーニ率いるメディアグループとどうつきあうか、という問題が出る。TVで取り上げられたりしないと本もなかなか売れないのだ。もう一つは流通経路として、一般書店、コミック専門店、キオスクがあり、これらの関係性を巧くわきまえて、それぞれの流通にどう働きかけるか、という工夫をそれぞれの出版者が精一杯に考えている。
[PR]

by ganpoe | 2009-03-25 23:20 | Social or Economic
2009年 03月 08日

取り替え子(チェンジリング)

取り替え子(チェンジリング)

*
クリント・イーストウッドの新作を見た。

「チェンジリング」(取り替え子、とはヨーロッパに昔からある伝承)

圧倒的な作品だと思う。ネットを見ていると、ミスティック・リバーやミリオン・ダラー・ベイビーよりは落ちる・・・という話もあるようだが、僕にはこれが一番。実話に基づいている、と言うのもあるかもしれない。

一人で息子を育てている女性が、その息子を誘拐されて無くす。
数ヶ月後、警察が見つけたと言って戻ってきた子は、その息子の振りをしている別人であった。
女性は、これは違う子「チェンジリング(取り替え子)」です、と警察の担当者にお願いしてもっと捜索を続けてくれるように願う。
警察側は、捜索にミスがあったとは認めたくないので、いろいろと教え諭し、捜査を終わらせたがっている。予算と人員も限られているので、事件を面倒くさくさせたくないのだ。(これは今の日本の警察も同じです)

警察の腐敗を弾劾しているある牧師(この人の登場が少し唐突すぎるのが「映画的」に弱い気がしたが、映画全体からの衝撃と比べたらどうでもいいこと)は、「警察を信用しては行けない。戦わなくては」とこの女性にアプローチする。

(以下、ネタバレがあるので、*****印まで跳ばし読みしてもいいです)

しかし、女性は「あくまで警察と戦うのが目的ではなく、なんとか捜査を継続してくださるようにお願いしたいだけなのです」といって、警察の担当者にお願いする。すると、その警察の担当はその場で女性を拘束し、精神病院に送り、二度と出れないようにしてしまうのだ。
病院の医師は、「警察の責任を問わない。警察の言う通り、戻ってきた子供は自分の息子である」と言う文章に女性がサインしない限り、精神錯乱だ、鬱だ、と言って決して退院させない。しかし、女性はあくまで、自分の息子を返してほしい、とサインを断る。

例の牧師が必死で外で動いていて、また、本当の誘拐の事実が少しずつ明るみに出てきたこともあり、女性は拘束から解放される。
そして今度こそ、牧師と一緒に裁判で戦うことを決心する・・・

その結果は・・・


*****


子供の頃、映画は、「あーー、こんな世界があるんだ」という窓口のような感動を与えてくれた。

いろんな経験を積んでくると、映画を見てつい、自分の経験と重ね合わせて感動し、涙してしまう。

下北沢での経験も思い出した。警察の担当者に結局だまされてしまい、裁判で戦い、自分たちの権利を勝ち取って行こうとするアメリカの人々の力には励まされた。その道がすべて正しいとは思わないけど。

今の経済状況での失職者・職場のことも考えた。
比類の無い現状の中で、どうやって生き抜くのか。
助け合えることは無いのか。

この映画はしかし、そういう政治的/社会的なこと以上に、何か人間の中にある力が、残酷さ、挫折感、の向こうに見えてくる。それが自分にとっては一番心にこたえた。とても絶望的になる映画なのだけど。

昔、読んだ大江健三郎の小説にも「取り替え子(チェンジリング)」というものがある。彼の小説の中でも一番好きなものの一つだ。幼なじみであり、義理の兄でもある伊丹十三に捧げた話だ。いわれの無い理由でさんざん傷つけられていく人々ーーーその中で、生きていく人、死んでしまう人、がいる。

ブルース・スプリングスティーンのうたにこういう歌詞がある。

「不思議な気がする。
こんな大変な日の終わりに、
人々はまだ信じる理由を見つける・・・」
[PR]

by ganpoe | 2009-03-08 12:30 | Movies