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2011年 12月 05日

トランスコミック論文(6)   命がけの交換 & 命がけを避ける方法(国家と資本の癒着など)

「セカイノカラクリ」を説き起こし、「セカイノシュウリ」へ。

トランスコミック論文(5)   資本の動き、止まらない貨幣の自動運動 の続き

以前までで、交換の3種類の説明が大体すみました。

贈与、収奪と再分配、市場交換(貨幣を用いる交換)です。

(全体構成は、こちらへ → 「トランス・コミック」完全版 目次(予定)

いよいよ、この3つの交換が、現代の社会ではどのように組み合わさっているか、この問題の根幹に入ります。
「セカイノカラクリ」の説明がそのまま「セカイノシュウリ」につながるように進めます。
あるいは、「セカイノカラクリ」がこうなっているなら、以前にあったような対抗運動・対抗文化がどこが間違っていたかも明らかになるのではないか、と思います。
カラクリに外れた、あるいは逆に強化するような、運動・文化だったかもしれません。

政治経済学は、例えば社会学などと違って、普通に感じる「現象」とまったく違う姿が見えてくるようなところがあります。
「セカイノカラクリ」は、現象の裏に隠れてうごめいている構造のようなものです。あるいは枠組み、あるいはゲームのルール、あるいは、要するにカラクリ。
カラクリの本質は、感じる現象とまったく逆の方向に動いているかもしれません。

資本という制度の根幹にあるのは、「交換する」ということの難しさがあります。
人と人の間で思いを通じさせることの難しさ、というようなこととつながるのかもしれません。

前書きが長過ぎました。資本制の一番の困難さ、そしてその結果起きてくる問題について、考えてみましょう。


命がけの交換 & 命がけを避ける方法(国家と資本の癒着など)

 お金があると分業が可能になる。

 それは自給自足と異なっている。

 自分の好きな物を、必要なものを、使うだけの量を作る。これが自給自足だ。

 ところが貨幣を得ることを目指す交換を始めると、自分ではなく「他人」のために作るようになる。

 残念ながら、「他人」の好きなもの、必要なもの、必要な量、これは自分のときほど確かでない。

 他人が好きであろうものを、必要であろうものを、使うであろう分の量を予測して作る。

 これが貨幣を伴う市場の交換だ。

 全てが「あろうもの」になり、予測になる。予測はいつもうまく行く訳ではない。

 不安定さの源である。だから、ものを売り、市場で売ろうとするのは「命がけの跳躍」なのだ。
  
 何がニーズか分からない。先に借金・投資して、見込み生産するリスク。それが売れるかどうか分からない。まさに命がけのジャンプのようだ。

 しかし、なんとしても売るためには、必死に他の人の欲しいものを、使用したいものを(ニーズ)、売り手はいつも考えなければならない。ある意味、儲けるという自分勝手な動機のために、他人を思いやる行動をとる。面白い現象だ。だから資本の動きは、人々の物質的生活レベルを上げていく結果になる。

 とはいえ、やはり命がけの跳躍であり、先に借金(投資)するのであるから、とにかく稼いでいかなければ、という資本の運動も始まる。すると、必要も無いものを、マスコミなどを使って宣伝してブームを生んで、売らせる。それが「ニーズ」であるかのように思わせる、という傾向も生まれる。

 そして、売るものはなるべく安い値段で作りたい、買っておきたい。だから「コスト」を少なくしようとする。極端になると、廃棄のことを捨て去って考えようとする。よって公害などが起きる。

 汚染物を自らの金でちゃんと処理するのはコストなので、そのまま垂れ流す−−たとえ、自分たちの行動が多少の社会的害を及ぼそうとも、環境に負荷をあたえたり、長い歴史や文化的価値のある物を壊してしまう可能性があるとしても。あるいは、国家などに押し付ける。

 また例えば、自動車会社は道路が無ければ商売が成り立たないのに、道路を自ら作ってはコストなので、国家・地方自治体が道路を整備する、ということまで起きる。

 そしてまた、労働者への分配をなるべく抑えようという欲望も生まれる。「労働力」だって、それはつまり人間だけれども、商品のひとつだから安く買いたいと思う。

 実は、「売る」のが命がけの跳躍だから、こんな矛盾が出てくる。では、「命がけの跳躍」が無くなれば、つまり、「売る」のが容易になれば、ということは買う側の「リクエスト」に応じて売れば、資本制から来る問題は解決するのではないか。しかし、それを実行するのは簡単でない。リクエストに応じてつくってmade売るsellのは、どうやって出来るか?

 ひとつは受注生産だ。注文を受けてから生産する。しかし、それは商品が実際に届けられるまで時間がかかるとして、他に前もって商品を提供する企業がいたら負けてしまう。

 しかし、資本家や経営者もいつも命がけの跳躍をし続けるのは、危険すぎる。できたら、命がけの跳躍を避けようとする。つまり、確実に「売れる」ようにしたいと考える。

 一番考えやすいのは、税金だ。

 既に述べたように、税金は国家による第2の交換に根ざしている。それは強奪=再分配という交換だから、第3の交換にあるような「命がけの跳躍」を最小限に出来る。税を、金を出さなければ、最終的には牢屋に引っ張ったり、財産を押さえることも出来るから、ある意味最初から「売れている」。

 税金の量が年により多少上下するとはいえ、確実にお金を集められる税金を扱う行政府に何らかの形で取り入れば、確実に納品でき、安心できる。行政府にとっても、税金を使って采配できるのは、自分たちの地位が高く認められることになり、名誉欲を満足させることが出来る。補助金を出したり、財団をつくったり、「天下り」できる。

 社会教育福祉事業、道路事業から原発産業、軍事産業まで、これらを「安定的収入」のもととして、資本家は経営者は確実にキープしようとする。

 癒着が始まる。利権が始まる。

 全く社会的に必要がなくなってきていようとも、社会の必要が変わってこようとも、あるいは、それぞれの行政府の国家の威信を保つためだけの軍事力となってしまおうとも、「命がけ」も「跳躍」も避けたい人々は群がる。

 そして、こんな「命がけの跳躍」が少ない場所で貨幣を伴う交換で利益が出るなら、安心だ。別の場所で「命がけの跳躍」を試みるためにも、確実な売れるところを保証として残したいと考える。

 消費者=買う立場、の人にとっては、実は「貨幣」が無ければ買うことができない、という問題がある。どんなに大事な、必要なもの、サービスであっても、貨幣を持っていなければ、誰も売ってくれないし、作ってもくれないかもしれない。子供、お年寄り、貧困者などのニーズが市場ではかなえにくい。

 有効な需要とは、需要の中でも実際に購買力が伴って「買う」ことができるニーズのことだけである。お金が伴うニーズしか満たそうとしない。

 ほかにも問題はある。たとえば、それぞれの会社(個別資本)に有利なことと社会全体にとって望ましいことが違う(合成の誤謬)。例えば、給料を上げることはその上げられた会社以外の他の全会社・資本にとっては好ましい。というのは、それだけ消費者の購買力が増して、たくさん物を買ってくれるようになるからだ。  

 また、永久に灯る電灯は、電灯会社以外には好ましい。しかし、個別の電灯会社にとっては、それではあらたに電灯を買ってくれなくなってしまうので、好ましくない、だから、資本の論理からのみでは、このような社会的に「良い」現象も起きない。

 それぞれの会社が、または個人が自分たちで気軽に発電できて、それを他の会社に売ったりできれば都合がいい。しかし、発電と送電のネットワークを地域独占している大電気会社がいたとすれば、それは電気を売る唯一の立場から、電気を買う立場に変化する訳だから、それは都合が悪い。

 「情報の共有」は社会全体にとって好ましいが、それぞれの資本制企業にとっては知的財産として利益の源泉なので、企業内に秘匿しようとする。こんなのも、個々の利益と社会の利益が矛盾する現象だ。(合成の誤謬)

(つづく)
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by ganpoe | 2011-12-05 23:23 | Social or Economic