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2011年 10月 18日

ビアトリス・ポッター『消費組合発達史論(英国協同組合運動)』1891年

【参考資料】
Chapter 4: “From Cooperative Commonwealth to Cooperative Democracy: The American Cooperative Ideal, 1880-1940,” by Kathleen Donohue, 115-134: Furlough, Ellen and Carl Strikwerda eds., Consumers against Capitalism? / Consumer Cooperation in Europe, North America, and Japan 1840-1990, New York: Rowman & Littlefield Publishers, INC, 1990.

ビアトリス・ポッター『英国の協同組合運動』1891

118ページより。
「それ以前のイギリスの協同組合思想家と同じ様に、ポッターは社会の生産者たちの存在を高めるものとして協同組合を考えた。しかし、彼女は伝統的な考え方と違っていた。生産者協同組合を否定したからだ。彼女は言う、近代の産業社会では、そのような協同組合にはあまり勝ち目がない。うまく行ったとして、それらはアナクロニスティックで、近代以前のような小さな職人工場のようなレベルに戻るだけである。まずければ、生産者協同組合は、資本主義の競争者たちとほとんど変わらないように労働者と消費者を悪用するだけである。彼女はこう言う「つまり次のことが明らかである。すべての生産者の集合体は、資本家が労働を雇う形であろうと、労働者が資本を買う形態だろうと、あるいは、その二つの形の合わさったようなものであろうと、われわれの共同体の利益とまったく反するものになるだろう。残念ながら生産者として製品を販売する立場である限り、利益追求者にならざるをえない。生産コストと販売価格の間に大きな差額を維持しようとするだろう。」結局、生産者協同組合は、競争力のある資本主義システムの害悪を取り除くのにまったく無力であるということを証明してしまった。(156、167―8ページ)

生産者協同組合の難点を主張したポッターは、アメリカの協同組合思想の主流であった考え方に大きな疑問を投げつけることになった。つまり、消費者協同組合は単なる生産者協同組合の道具のような位置付けでいいのか。もし、生産者協同組合が最終的な到達点でなくなったとしたら、消費者協同組合とはいかなるものであるのか。更に細かく言えば、消費者協同組合がそれ自体価値があるものとして存在できるとすれば、生産者協同組合が持っていたような影響を、それはどう労働者のイデオロギーの中に生み出すことができるのか。Elyのような19世紀初頭の協同組合思想家は、それは無理だと考えていたのであった。しかし、ポッターにとっては、消費協同組合が労働者にとって持ち得る可能性は大である、という判断だったのである。

彼女は次のように記している。「個人個人の生産者がだれも同じ様に、自分の労働のための道具・機械とその生産物を所有できるような社会が、どんなに望まれても達成不可能」なので、労働者は個人個人が失ったものを「協同して取り戻さねばならない。」労働者はすでに労働組合を組織して、集団抗議をするという最初のステップを踏んだ。しかし、労働組合は、生産過程において起きた資本家の不正行為を指摘することしかできないだろう。

それに対して流通過程で起こる資本の不正行為は、彼らの能力を超えている。しかし、産業経済においては、商品市場において起こる搾取は、職場において起こるものと同じくらいひどいのだ。

ポッターは言う、労働者階級が、同時に消費者として、また生産者として組織されてこそ、それが成功するときにのみ、われわれは現在ある利益追求を基にした資本主義システムを変換させ、経済民主主義、一国の商業と製造業のなかに代表自治を創り上げることができるのだ。

流通過程において、労働者階級のメンバーは彼らの消費協同組合をとおして「独占価格を突き崩し、詐欺的な悪品質の商品を暴き出し、そして利益(それは、購買行為と販売行為の間に出てくる剰余である)これを直接、間接的に全体の社会に分配させるような形を作れるのだ」(168―9、218ページ)

このような複数の局面に作られる協同組織はまた、賃金の上昇による所得の損失を販売値段を上げることによって賄おうという資本主義のたくらみを、妨害することができる。労働組合を通して今度は、協同商店の為し得た生活費減少によるデフレを理由にして賃金を下げられるようなことを、防ぐことができる。(ポッターの労働組合と消費者協同組合の合併という案は、ラッサールの賃金鉄則、つまり消費者協同組合による消費物値下げは、賃金下降につながり、結局、意味を持たない、というような意見を完全に塞ぐことになった)

ポッターによれば、消費者協同組合の持ち得る変換力は流通過程のみに限られない。それは生産過程を変革する役割をも務め得る。消費者協同組合は自らが保有する工場に良好な職場条件を作るようにして、それが社会的な影響を持つようにすることができる。また、スウェットショップの様な劣悪な環境で作られた製品を協同商店に置くのを拒否したり、望まれる労働条件を維持しない会社の製品をボイコットすることによって、その影響をイギリス全体に及ぼすことができる。

だから、ポッターはこう結論づける。消費者協同組合は、「政界と同じ様に、産業界において主権を維持するための」車の両輪の一つなのだ。他の一つはもちろん労働組合である。この二つの局面・前線において、消費者として「そして同時に」生産者として、組織することによって、労働者は産業革命によってもたらされた経済的不平等を改善する希望を持つことができる。(193―203)

ポッターの協同組織に対する考えはそれ以前のElyのものを逆転させたといえる。Elyは、生産者協同組合の根本的可能性を強調し、消費者協同組合を軽視した。しかし、ポッターによれば、生産者協同組合は競争と利益追求に依存せねばならず、結局資本主義システムに固く縛られざるをえない。

消費者協同組合こそが資本主義経済への本当のオルタナティブを提出することができる。

それは競争ではなく、民主主義的コントロールに頼って、価格を下げ、質を上げることができる。またそれは私的利潤に頼ったシステムを「それぞれの男女が、自分だけの生活維持や儲けのためではなく、全体的な共同体のために働く」社会を作ることができる。短くいえば、生産者ではなく消費者協同組合こそが、「現在の産業戦争の中から、協同組合原則である『全員はそれぞれのために、それぞれは全員のために』にしっかりと根差した『産業の共和国』を創り上げる」根幹を成すことができる。(204-6、221)

究極的には、ポッターとElyは、なるべき、また可能である社会的政治的秩序に対する考えが違っていたために、協同組合に対するこのような意見の違いが現れてきたのだと思われる。両者とも、産業資本主義の最大の被害者を労働者と判断し、また、それへの対処策を協同組合に求めた。Elyにとっては、この解決策は階級闘争をなくすことによって最上になされると思われた。彼にとっては、生産者協同組合はその中において、生産者自身が資本家に成る事によって、そのような階級差を無くしてしまう。しかし、ポッターは階級闘争は近代産業秩序において、消すことができないような内在的なものであった。消費者協同組合のポッターにとっての魅力は、それがこの階級闘争において労働者が勝利することができる方向を示していることであった。」
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by ganpoe | 2011-10-18 01:42 | Books


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