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アソシエーションの歴史(2)

2004年6月25日

 

 アソシエーショニズムと一言で言っても、実はいろいろなアソシエーショニズムがあって、特に、個々のアソシエーションとアソシエーションを結びつける仕方、これは議論として分かれるところだったのです。一般的には、それぞれのアソシエーションが代表を出し合って、それが中央評議会などを作る。そこにおいて、いろんな生産調整などをする、ということになっていたのですが、しかし、実際としては、中央に計画を専門にする機関があったほうがいい、ということで、結局、中央の官僚組織が複雑な計測や、計画、組織化を行う、という考えが主流だったのです。つまり、中央国家の下で調整されるアソシエーショニスト国家です。

 前回もいいましたが、サン=シモン派というグループに集った人に特にその特徴があります。その中からは、例えばスエズ運河を作ったり(レセップス de Lesseps)、フランス経済発展に中心的な役割を果たした銀行を創設したり(ペレール Pereire)、終にはフランスの皇帝になった人(ルイ=ボナパルト Louis Bonaparte)まで出て来ます。この様に中央の国家機構で全体を調整するのが効率いいし、正義にもかなう、という考えですね。こういう考えの大本には古代ギリシャの哲学者プラトン Plato がいます。哲学者による国家経営、というような。

 でも、この考えって、資本主義を批判してるようで、それと両立してでてきた官僚国家、とあんまり変わらないんですね。だから、あんた、それ批判て言っても現在の社会の仕組みとおんなじじゃん、てな訳です。運が悪いと、あくどい資本家を懲らしめる国家、この要素が強くなると、全体国家、見たいになってしまいます。その極端なのがいわゆるナチズム、スターリニズム。

 例えば、マルクス主義ってのを大成させたエンゲルス Engels、と言う人もこの系統ですね。彼は、当時出てきた大企業、つまり、生産部門から、部品部門、計画立案、資金調達、販売、貿易まですべての部門をこう垂直的に統合させて、その全体を本社が指令を出して効率よくやっていく、というようなシステムにとても魅せられていたんです。その流れが、結局、ソ連みたいな困った国家を作ってしまったんですね。

 そういうわけでアソシエーションと言っても、前にどっかで言ったような共同体的な全人格的没入、中央・共同体自身による支配、みたいな物とごっちゃになってしまったりしてる。

 そういうのを批判したのがプルードン Proudhon、という人。あくまで自由主義、何よりも自由が大切で、そのためにあらゆる権力を否定しようとした人。哲学者にありがちな自分の考え、論理で世界のすべてを説明できる、支配できる、というような考えから自由であろうとして、独立生産者が自主的に、限定された当座の利益のためだけに結びつこう、というシステムを主張したんです。

 でも、自由を目指す、ということは自分のだけでなく、赤の他人の自由も目指す、ということだから、ちょっと気に食わないようなことをあっちこっちでやる人たちもいてもいい、ということを認める、ということだった。しかし、あっちこっち自由でやるためには、支配関係がでてこないようにするしかない。そのためにこそ、エゴイストであるためにこそ、その目的にかなう範囲で逆にアソシエーションが必要だ、と考えた。ここがプルードンのオリジナルな点だったんですね。(と言っても、そういう考えは、スピノザ Spinoza、とか先行者がいたのですが。。。)彼はこういっています。

「工業的ないしは商業的アソシエーションが、その目的として、主要な経済的諸力の一つを実践させることを目指して、あるいはその本性上、共同企業、独占体、一つの企業名である事が要求される資本の運用を目指すようなときには、こういった目的のために形成されたアソシエーションが好成績を収めることがありえる。だがそうした結社は、このような成果をアソシエーション自体の原理のゆえに創造するのではない。それは、その成果を自らの諸手段に負うのである。

このことはあまりにも真実なので、同一の結果がアソシエーション無しで獲得されうるときには、人は常にアソシエーションを作らないことを好むものだ。アソシエーションは、本来、自由に対立する一つの拘束であり、われわれがそれに服することに同意するのは、ただわれわれがそこに十分な補償を見出す限りにおいてのみなのである。したがってわれわれは、すべての空想的アソシエーション構想に対して、次のような実際的法則を対置することができる。すなわち、人間がアソシエーションを作るのは、ただ不本意に、また彼がその他のことをなしえないからそうするにすぎない、というのがそれである。」(『十九世紀における革命の一般理念』)

 ここで言っているのは、まさにアソシエーションが、結びつく、ということを自己目的化して行って単なる共同体へと変化していってしまうことに警笛を発しているわけです。それは自由を拘束させる、と。つまり、「結びつく」というのは「自由になる、必要な限りの利益を得る」というエゴイスティックな目的。これを実現するために必要な範囲で仕方なくする手段。こういう限定した物として考えていたのです。

 というわけで、サン=シモン派からプルードン派まで、どういう目的で、どの程度、どういう組織で結びつくか、アソシエートするか、という問題なんですが、どうなんでしょうね。答えはその中間にある、ってのは、逃げか???

(つづく)
by ganpoe | 2009-01-31 12:22 | Social or Economic

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