地域, 政治, 経済そして音楽・・・浅輪がんぽおのブログ

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2009年 01月 31日

本当の目的はLife?

2005年10月20日

 

本当の目的は剰余価値0か?Life(生活、人生、いのち)か?

前に書いた「 剰余価値と必要の社会・経済」にすでに触れた内容ですが、もう一度角度を変えて考えたいと思います。

 貨幣を投資することによって、その価値が増殖していくという「資本」に貨幣を変える、これが資本主義というものです。この仕組みは多くの社会的不公正を生むということで、この価値の増殖(増殖された部分の価値を剰余価値といいます)を止めることが社会的運動の核心であると考える人が多かったのです。

 しかし考えてみれば、資本主義以前の社会——そこでは剰余価値は無かった、あるいは最小限であった——においては社会的不公正はなかったのか、というと、もちろんあったのです。たぶん現代とは質が違っていたかもしれませんが、かなり激しく。

 となると剰余価値を0にしていく、というのが中心目標として据えられていていいのか、という疑問が生まれます。もちろん、この先、剰余価値が0になった社会というのが、どういうものになるのか想像もつかないのではっきりとは言えませんが、剰余価値が0であっても社会的不公正は多く、人々の間の格差は激しく、一般的に言って幸せでない、という可能性もありえるのではないでしょうか?

 逆に、剰余価値があっても、それがうまく循環していれば世界中の皆が自由で「幸せ」でいられる可能性だってありえないでしょうか?

 この二つの疑問は難しすぎて私には想像できません。そういう社会、状態は実際には今現在ないからです。しかし、このことだけはいえるのではないでしょうか。

 社会改革の主要目標はあくまで「世界中の皆が自由で「幸せ」でいられる」ということです。もちろん「幸せ」というのもいろんな意味があって一概には言えませんが(不幸の方が幸せ、という方もいるでしょう?何が幸せかは人それぞれ、まあ自由に幸福を追求できる、ってことでしょうか?)とりあえず一般的に言って「幸福」ということです。そして例えば「剰余価値をなくす」というのは、この「目的」のための「手段」の一つにすぎない、という認識です。

 つまり、いつの間にか目的と手段が入れ替わって、「剰余価値をなくす」が目的となって、人々の自由と幸福が忘れられてしまったのではないか、ということです。旧ソ連などの社会主義国がそのいい例だったでしょう。また、労働組合なども資本家が取っている剰余利潤を出来る限り分捕り返す——給料を上げる——のが目的と化し、本当の目的、人生の幸福——たとえば企業が公害を出さないようにする——を逆に無視してしまったことがあるのではないでしょうか。

 改めて言いますが、私が地域政治経済学に注目するのは、この中心目標「世界中の皆が自由で「幸せ」でいられる」をまず第一に持ってきていることです。当たり前のことですが、重要なことです。そして、その目的を達成するためにまず何が手段として考えられるか、こう議論を進めています。この進め方は正しいです。この手段は色々考えられるとは思います。人々の関心によっても違うでしょう。環境保全かもしれませんし、女性の自由自立でもあろうし、何より平和でもあるでしょう。

 しかし、そのような色々な関心をまとめるものとして、やはり人々の自由と幸福を一番規定するのは、それぞれの人生、生活、いのちの中心となるそれぞれの地域(都市と農漁村がありえますが)のありようなのだ、ということが地域政治経済学の考え方だと思います。だから、理論の定義づけにまず地域とは何か、ということから始めているのでしょう。

 もちろん、地域政治経済学のみが答えではないかもしれないし、現在の研究水準では足りないものがあるかもしれませんが、私には大きな魅力を感じさせます。

 それはともかく、この目的と手段をきちんと把握した上で、マルクス経済学も見直すと違った観点が出てくるのではないでしょうか、と考えます。
(つづく)
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by ganpoe | 2009-01-31 12:36 | Social or Economic


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